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2005.02.18

朝日新聞2月2日掲載「どうなる公立図書館」をめぐって思うこと-市民が本当の図書館をつくるために-

池沢昇(東京の図書館をもっとよくする会事務局長)

 朝日新聞は2月2日「どうなる公立図書館」のタイトルで、紙面半面を使って「民営化の現場」を報道した。記事は、鈴木京一名の署名記事である。
 記事前文は「民営化の現場」の見出しで、次のように述べている。
「公立図書館の民営化が広がり、指定管理者制度で館ごと運営するNPOや企業が登場してきた、民間委託で図書館はどう変わるか、サービスや働く人の労働条件はどうなるのか、現場を訪ねた。」
 しかし、本文は、山梨県山中湖村、東京中野区、北九州市の図書館を受託(受任)しているNPO3社と民間企業1社の紹介を行い、それら4社の責任者のコメントを紹介することに終始している。図書館がどう変わるのか、サービスや働く人はどうなるのか、4社責任者の口を通じて語られる。図書館運営を受注し、自治体から収入を得ている会社責任者の「民営化は良いことだ」という声である。しかし、利用者や図書館に働く人の声はどこにもない。この記事は民営化の宣伝である。
 記事の内容はたいしたものはない。しかし、朝日新聞という名から、「民営化は良いことだ」と思う人が全国的に出てくるだろう。これまで、私たちの会が、図書館が市民に役立つものに変革することを願い、図書館委託に反対を表明してきたことの社会的責任から、この記事について思うことを述べる。

1.「本物」の図書館を持つために
 自分の住む家を買うとき、販売業者や建築業者あるいは新聞記事のように見える全面広告を鵜呑みにすることはしない。安くて質のよい物件があれば、安物の危険な建材を使っていないか、砂上や有害廃棄物の堆積の上に建っていないか、調べてみる。図書館の場合も同じである。買い手は行政、販売・建築業者は受託(受任)会社ではない。買い手は市民、販売業者は行政、建築会社は受託(受任)会社である。販売業者と建築会社の全面広告を、新聞記事に見えるようにして掲載したのが朝日新聞である。
賢い買い手であるためには、情報化社会の中の生涯学習の中核施設として図書館が成立する要件を次の3点に絞り、民営化によって優れたサービスを提供することが可能か、手法として優れているのか、つまり記事の真偽を問わなければならない。
 第1の要件は、図書館を安定的に運営するための経費は公的に保証される必要があるということである。税金で維持されなければ、公共図書館の維持経営はきわめて困難である。
 第2は、館長以下の図書館員に、図書館と資料・情報についての知識と熱意を持つ人間を配置し、養成する制度が整備されているということである。
 第3は、権力者の好まないものでも市民に提供できるように、行政等から相対的な独立を保つこと、また、図書館が独善的な運営に陥らないように、市民が意見を反映できる仕組みを制度として存在させるということである。

2.公費で図書館運営がされるということ
 第1点は、委託であろうと指定管理者であろうと、税金によって運営されることには変わりはない。ただし、行政予算の中の図書館に支出する経費は、委託等によって絶対的にも相対的にも減少する。このことが図書館の将来にとってプラスとは思えないが、今回問題とすべき範囲ではない。焦点となるのは、第2点と第3点である。

3.図書館サービスを担う専門的知識を持つ職員を確保すること
 第2点は、民営化によって、図書館や資料・情報について専門的知識を持つ集団が図書館を運営することが実現するのか、その方向に前進するのかということである。
 最近司書資格者を中心にしたNPOが生まれ、これまでの民間企業を中心としたものと異なるので、分けて述べる。
 当記事にも紹介されている北九州市立図書館3館の指定管理者となる図書館流通センター(以下、T社)は、 受託図書館数のもっとも多い会社である。T社は図書館の専門業者を標榜し、早い時期から図書館を委託するよう行政に働きかけたパイオニア企業である。その受託経営の方法は他の企業とほぼ同様である。図書館に配置する社員はチーフ・サブチーフと呼ばれる責任者を置き、その他はすべてパート社員と呼ばれるアルバイトである。時給800円台、社会保険料を会社が払わなくともすむように、多くのアルバイトを使って短時間勤務させる。月収は9万円と言われる。図書館に責任者として配置されるチーフであっても時給1000円と言われる。8時間20日働いて月16万円程度にしかならないが、税金や社会保険などはここから引かれる。自活できる給料ではない。図書館に熱意があっても、より良い条件のところに替わっていく。
 当記事に「書籍データベースを構築した経験をレファレンス業務などに生かせる」とT社会長の言葉を紹介する。書籍データ構築を経験した社員を受託館に配置すれば、その言を一概に否定できない。しかし、受託が決定してから、「経験不問」「司書資格不問」「時給800円」の新聞折込チラシの募集で集めた大量のアルバイトが図書館や資料についての知識を持っているとは、普通には考えられない。
 責任者として現場を切り回すチーフは、ほとんどが図書館非常勤やアルバイトとして、図書館で働いていた人たちである。図書館専門業者を標榜するT社でさえも、図書館経営能力を持っていないので、スタッフ募集で集めた中から責任者を選ぶのである。さらに、多くのアルバイトを採用するので、考えられないような問題も起こす。今から2年少し前、江東区の図書館で、T社社員が個人情報を不正使用した事件が新聞全国版でも報じられた。それによれば、図書館に配置されたT社の社員が自分の予約するCDを早く借りようとして、不正に個人情報を引き出し、予約待ち順位1位の男性の妻を偽称して、図書館に電話した、と言うことである。これに類することがどこで起きても不思議はない。

 それでは、中野区の図書館を受託しているNPO2社について触れる。NPOはピンからキリまである。ここに述べることは他のNPOにはあてはまらない。このNPO2社は、非常勤として長い図書館経験を持ち、図書館に働くことに熱意を持つ司書を中心とした専門家集団である。このことは、私たちが求めてきたものに合致する。その活動も企業が受託(受任)するところとは歴然と異なる。
 しかし、問題も抱えている。1つは、年度契約なので次年度も継続して受託できる保証がないこと、1つは、中心メンバーさえ図書館非常勤の時よりもさらに時間単価は安く、低水準の労働条件下にあることである。
 さらに、不安定さを増すのは企業との関係である。行政から受託(受任)企業に支払われるほとんどが図書館に配置される人の賃金である。ところが、受託(受任)企業は、低賃金アルバイトを採用し、半分の賃金しか支払わないから、その「ピンはね」で膨大な利潤を上げる。中野のNPOは、一定水準を持つ人間を確保するために、恐らく受託料のすべてを賃金に回さざるを得ないだろう。市民の目から見れば優劣が明らかである。だから、民間企業からみれば最も危険な競争相手になる。NPOを排除しようという動きが出てくるのは必至である。最近、2自治体以上数館以上の受託実績など、受託できる条件とする自治体がいくつか出ている。安定性のある受託先を求めるかのようにも見えるが、NPOは排除される。しかも、この条件に合致するのはT社ほか数社である。競争相手は排除され、この数社は宝の山を手に入れる。

4.行政からの相対的独立性を保つこと、市民がコントロールできること
 まず、市民のコントロールは利かなくなる。自治体と民間団体(企業)との契約で行われ、それによって委任されたものについては、行政・議会であろうと介入できない。もともと、指定管理者制度・委託・民営化は、民間企業に図書館や保育園を市場として開放(提供)するための国家政策として進められているので、民間企業の手足を縛るような思想は存在しない。市民によるコントロールなど、ほとんど契約に入ることはないだろう。
 行政も議会もコントロールできないのだから、図書館の独立性はより高まるかというと違う。二つの相反することが起きてくることが想定される。一般的に起きてくることは、図書館が行政側への従属を強めることである。受託(受任)側は、契約からはずされことを恐れ、行政や議会の顔色をうかがって自己規制をする。行政や議会多数派が好ましくないと思う本が図書館から排除されることが当然に起きてくる。自己規制は、競争が激しくなれば、いっそう進行する。図書館の死である。
 NPOが図書館をどんなに大事に思っても、上記のことから逃れることはできない。行政の意に逆らって、市民のサイドに立って図書館の理念を貫けば、当然に契約から外される。契約できなければ、全員が職を失う。選択の余地はない。
 受託(受任)する側が、首長の親族や土地の有力者が関係している場合は、逆なことが起きることもある。そこが眼に余る運営を行っても、市民も行政もコントロールできないと言う事態も生じるだろう。

5.山中湖情報創造館のこと
 最後に、当記事の冒頭に紹介される山中湖情報創造館に触れる。より正確に言えば、記者がもっとも力を入れた箇所であるにもかかわらず、舌足らずのためか、誤りがあるためか、意味をとりかねるので、そのことについて述べる。
 第1は経費である。年間予算(前後の文脈から村からの受任料と見える)は1500万円、人件費は1250万円、職員7人、週休2日、1日6時間の短時間勤務、ほかでも仕事したりしているので短時間勤務をメリットとしている、とある。これを事実とすれば、職員1人当たりの平均年収は180万円である。これから税金等は引かれるだろう。残りの生活費を1日2時間で捻出するためには、よほど実入りの良い仕事があるか、働かなくとも十分な収入が得られなければならない。記事に何かの間違いがあるのではないか。
 第2は、図書館協会常務理事大橋氏の「低賃金で継続して働くのは難しい。契約期間が終われば別団体に替わることもあり、継続性に不安がある。行政直営を原則にすべきだ」との民間委託「批判」に、「人々にとって図書館が本当に必要なら、住民らが自分たちでつくるくらいの気概が必要」との小林氏の「反論」を紹介する。読めば分かるように、この「反論」は的外れも甚だしい。私は、小林氏の講演を聞いたり、書いたものを読んだりしている。このような論理的に反論になっていないものを、「反論」と言うとは思えない。奇妙なことだ。
 小林氏の「住民らが自分たちでつくるくらいの気概が必要」と述べていることは、図書館の本質に触れる大きな含みを持っているように思える。最後で、その言葉に触発されて思うことを述べたい。

6.民営化の背景
 私たちは、東京の図書館の発展を求め活動してきた。特に、東京23区については、司書を採用せず、事務職員を4~5年間図書館に配置することを繰り返していることに対し、多くの税金を使って低いサービスしか提供しない税金の無駄遣いと批判し、司書の配置を求めてきた。本を読まない、人と話すことが苦痛だと言う図書館員がいて、図書館サービスが良くなるはずがない。図書館の責任者である館長もそれを免れない。このことは23区にとどまらない。一部を除いて、日本の公共図書館はまだ低いサービスにとどまっていると考えている。
 しかし、その停滞状況を民営化で変えようというのは、風邪を引いたり、足を折ったりした人に、心臓移植をするようなものだ。この心臓移植の目的は、風邪や足を治すためではなく、金儲けにある。手術する側の都合で行うのである。風邪はなおるだろうが、命は危うい。
 先に述べたように、指定管理者制度・委託は、図書館や保育園など公が担ってきたものを、民間企業に市場として開放するための国家政策として進められてきた。03年12月3日、「図書館、市場規模は2倍強」のタイトルで日経新聞は、市場としての図書館の記事を掲載した。首都圏の自治体には970の図書館があり、民間委託の市場規模は5年後には94億円に拡大するとし、さらに、教育委員会が選んだ館長の配置義務や選書など基幹的な業務は行政が担うことになっていることなどが全面委託を難しくしているので、いっそうの市場拡大には法制度の見直しが必要だ、と述べた。国は産業界の要請にこたえ、法制度を見直し、「全面委託」をできるようにした。
 図書館に専門非常勤を採用するほうが、委託や指定管理者制度よりも、ピンはねがないので経費的にも安くなるし、アルバイト中心でもないのでサービスも高くなる。それにもかかわらず民営化が進行するのは、このような国家政策が自治体にも浸透しているからである。
 
本当の図書館を市民の手でつくろう  
 「人々にとって図書館が本当に必要なら、住民らが自分たちでつくるくらいの気概が必要」と小林氏は述べている。しかし、「自分たちでつくるくらいの気概が必要」と小林氏は言うが、最も重要なはずの「何をなすべきか」については言及しない。「気概」だけにとどまっては、何も生まれない。本当に図書館が必要なら行動が必要だ。自分たちでつくるくらいの気概で何をしろというのだろうか。山中湖情報創造館を運営するNPOのようなNPOをつくろう、と言うことなのだろうか。あるいは、気概をもって運営する自分たちNPOにもっと多くの図書館運営をやらせろ、と言うことなのだろうか。
 私たちは、「市民が本当の図書館を必要とするなら、市民が自分たちでつくらなければならない」と考えている。本当の図書館とは、運営経費が公費によって安定的に保証され、図書館や資料・情報についての知識を持つ専門家集団によって運営され、行政から相対的に独立し、市民によってコントロールされる図書館のことである。市民によるコントロールとは、図書館運営に市民が意見を述べる場が制度的に保障され、その意見が尊重されることである。
市民が自分たちで図書館をつくるということは、主権者である市民が行政に働きかけて図書館をつくらせることであり、行政は市民の付託にこたえて、税金で図書館と言う建物をつくり、図書館を運営する能力を持つ図書館員を配置し、資料費など必要経費を措置すると言うことである。
 このような本当の図書館を私たちは求める。


2005.02.11

変わりゆく社会に注ぐ司書の眼差し…NHK7時のニュース「裁判員制度」に寄せて

 司書の仕事は、「変わるべきもの」と「変わってはならないもの」の両方を兼ね備えている。変わるべきものとは、変わり行く社会の中で刻々と変化する利用者ニーズに対応する方法であり、変わってはならないものは、利用者の情報ニーズに対して、必要な資料・情報を提供するという役割である。

 21世紀が走り出した今、日本社会も刻々とその姿を変えつつある。そして、4年後、裁判に絡んで、われわれ市民が他人事でいられなくなるような大きな出来事を迎える。これは、「裁判員制度」、つまり有権者から無作為に選ばれた市民が裁判官と共に法廷に立って人を裁く制度がスタートすることである。

 本日(2005/02/11)のNHK午後7時のニュースを聴いていたところ、この「裁判員制度」に対する世論調査が行われたことが報じられていた。64%が参加したくないという結果が出ていたとのことである。「参加したくない」という意見の中には、正しい判断ができるかどうかへの不安など、様々な思いがあるようである。

 制度を発足させるとなった以上、その発足へ向けて、社会全体の英知の結集が求めれるであろう。しかし、付け加えるならば、今回の問題は私たち司書、あるいは図書館という場に関わる者にとってもよそ事ではいられないのだと管理人は考えている。自らの直面する裁判のために判断を求められている市民らが必要な情報を求めて図書館へ来訪する、そのようなシーンが起こりうる。そのとき私たちはどうするか?真摯な判断・対応が求められることとなろう。

 今度の土曜日・日曜日(2/12-13 21時スタート)のNHKスペシャルでは、「あなたは人を裁けますか」と題してこの問題を取り上げるのだという。もし良かったら、多くの方にこの番組を見ていただければ、と考えている。

参考文献
2009年までにスタート!裁判員制度(日本弁護士連合会サイト)
  http://www.nichibenren.or.jp/jp/katsudo/shihokai/kadai/saibaninseido/
NHKスペシャル21世紀日本の課題「司法大改革 あなたは人を裁けますか」
  http://www.nhk.or.jp/special/schedule.html
高橋隆一郎『シドニーレポート:法情報・人権・図書館 
  Leagal Information Access Centre(LIAC)見学記』(オンライン版)
  http://homepage3.nifty.com/musubime/takahasi/sydney.pdf

 

2005.02.08

[資料紹介]"Australian and New Zealand Information Literacy Framework"

 知識の有無は、時によりその人の生き方をも変えてしまう。ならば、人が生き抜く力を養うために、私たちがすべきことは何だろうか。その答えへの道筋は「情報リテラシー」の育成にあるといえよう。情報リテラシー…①情報ニーズを認識する能力 ②情報の発見・獲得能力 ③情報及び情報探索過程を評価する能力 ④情報管理能力 ⑤新たな理解を生み出す能力 ⑥情報の背後にある問題を認識する能力…を身に着けるために、私たち図書館に関わる者や、社会に暮らすもの、教育に携わるものは何をすべきだろうか。

 今回は、オセアニア地区(オーストラリア及びニュージーランド)の大学図書館員が大学教員と協同してどのように情報リテラシーの育成に取り組んでいるかを振り返る意味で、下記の書物を紹介したい。

Title: Australian and New Zealand information literacy framework : principles, standards and practice / editor, Alan Bundy.
Edition: 2nd ed.
Publisher: Adelaide : Australian and New Zealand Institute for Information Literacy, 2004.
Description: 48 p. : ill. ; 30 cm.
ISBN: 192092700X

 本書によると、オーストラリアでは、現在、生涯学習者養成という観点から高等教育機関の卒業生が身に着けるべき資質について活発な議論がなされている。その資質の中には情報リテラシーの育成も位置付けられている。激しく変化する社会の中で生き抜くためには生涯教育が必須となり、そしてその方法をそれぞれが身に着けるためには情報リテラシー能力の取得が必須となっているということである。市民としての社会参加・社会的責任遂行のために、情報を使いこなす力を身に着けなければならないということである。そして、情報リテラシーは教育のすべてのレベル--初等・中等・高等・社会-で取り組んでいく必要があることも指摘されている。

 "Curriculum alignment and assessment of information literacy learning"(情報リテラシー学習のカリキュラム設定と学習効果の測定)では、情報リテラシー能力の育成のために、どのようなカリキュラムが必要なのかが概説されている。また、そこでは教員や司書を含め全教育スタッフの密接な協同作業が求められている。

 "How some Australian and New Zealand academic libraries were using the first edition of the Information literacy standards in 2003"(本書初版を踏まえた各大学での実践(抄))では、オセアニア地区の大学図書館における情報リテラシー教育の一部分が記されている。そこでは、たとえば教員と司書の共同作業の一端が示され、また、補助金交付や全学レベルでの協議、大学図書館連合体のなかでの協議などの取り組みの一端が示されている。

 そして、"Information literacy: a selective chronology 1965-2003"(情報リテラシー年代記(抄))では、情報リテラシー教育の取り組みを振り返るにあたり、特筆すべき出来事が年表にまとめられている。情報リテラシー教育にとって重要な著作が多く掲げられているが、その他にも図書館関係者がオーストラリア議会公聴会で発言したことや、大学の連合体や行政、議会によって情報リテラシーの教育における図書館の果たす役割の重要性を述べたレポートが発表されたことなどが記されている。

  振り返って、日本ではどのように取り組んでいくべきか。調べ学習等、様々な取り組みが行われてきているが、この「情報リテラシー」は、私たちがしっかりと取り組んでいかなければならない課題の一つである。多くの方にこの本を手にとって頂き、ご一緒に考えていければ幸いである。

2005.02.06

図書館業務に携わる者の心理についての一考察(メモ)

 ウェブログの世界では旧聞に属してしまうかもしれないが、『笛と私と図書館と』というウェブログの記事「図書館員は図書館好きじゃない?」で、baronagonさんが真摯に「仕事ってこんなもの?」と問いかけをしておられた。それに対して、多数のコメントが寄せられ、他の図書館関係ウェブログでも、数々の記事が書き込まれた。

 司書としての自らのことを考えつつ、あるいはこちらの会の人たちのお話を伺っていたときのことを振り返りつつ、管理人は少々暗澹としながらこのやり取りを読んでいた。今回は、少々徒然になってしまうかもしれないが、「図書館業務に携わる者の心理についての一考察」と題して、図書館に身を置く者のモチベーションについて考えてみたい。このことに付いて考えることが、図書館に関わる人々の精神的健康について考え、ひいては「図書館をよくする」ことにも通じるのだと考えている。

 いくら仕事に対する誇りを持っていても、その組織に関わる要因…人員配置・予算配分等の業務環境…が変化しないことによる閉塞感により、「もう仕事は増えないでほしい」という心理に追い込まれる場合があること。人事のあり方…図書館の外に出たら、図書館に戻れる保障はないという状況があること。親機関との関係。利用者のニーズと、労働力など館側の体制とのアンバランスの問題。当人の思いや熱意が図書館全体の中で報われるとは限らないこと。これらのことにもかかわらず、なおかつ図書館に関わる人が図書館の仕事の意義や面白さを理解しているか否かが重要な要素になっていること。仕事以外の「好奇心のアンテナ」をどれだけ腐らせずに保ち続け、磨き続けることが出来るかが鍵になること。

 このようなことをつらつらと思いながら、まず、一冊の本のことに思い至った。田尾雅夫・久保真一『バーンアウトの理論と実践』(誠信書房,1996)。同書が引用したマスラックの定義によると、バーンアウト(燃え尽き症候群)とは、「極度の身体疲労と感情の枯渇を示す症候群」である。看護師、医師、福祉従事者、教師等人間を相手にする職業の従事者に多い病気だとのことである。図書館の仕事も利用者を相手にする仕事であり、他人事ではないと思われる。もっとも、雑誌記事索引やNDL-OPAC等のデータベースを引いてもあまり図書館従事者の燃え尽き症候群の文献は見当たらないが、海外だとJanette S. Caputo "Stress and Burnout in Library Service"(Oryx Press,1991)が発表されている。海外の動きや国内他対人サービス業種での議論も参考になるだろう。管理人が身を置く大学図書館の世界では、研修の中に精神衛生の問題も出てくるが、大学に限らずいろいろな場面で考えていくべき問題であると考えている。

 二点目に思い至ったのが、管理人が学生のときに受けた英文学の講義の中で教授から出された「WorkとLaborを訳し分けてみなさい」という課題だった。二十歳そこそこの若造にはとてもわからなかったのであるが、人間を40年以上やってきた今になって、20年以上前の問いかけに対して回答らしきものが出せたような気がする。『研究社新英和中辞典』四訂版の訳語を使って示してみたい。今にして思えば、その教授はこのようなやり方で私たちに「仕事」の持つ2つの面を教えてくださったのである。

  • work…作品
  • labor…勤労・労働・骨折り

 そして、最後に思い至り、本棚から取り出して今まさに読み返し始めたのが、『ず・ぼん』7号に掲載された次のレポートである。

日信葉子 (ヒノブ ヨウコ)「「専門」非常勤制度という矛盾の中で (特集 図書館での働き方を考える--非常勤の未来)」
『ず・ぼん』(通号 7) [2001.8]pp.4~15

 当時東京の区立図書館で図書館非常勤職員として勤務していた日信さんによるこのレポートでは、図書館の非常勤職員制度が待遇等の勤務条件・仕事の進め方や専任職員との関わり等多方面から分析・掘り下げられており、働きにくさが生まれてしまう要因についても論考が加えられている。ただ、日信さんの発言はそれだけでなく、最後には以下のような発言がある。

…結局使い捨てられてしまう現在の日本の公共図書館という世界にそれでも身を置き続けようとするのはなぜなのか?それはもっと多くの人に図書館を活用してほしいからです。そのために自分の手でやってみたいことがたくさんあるからです。せっかく身近にある公共の財産なのに、上手に活用している人がまだまだ少なくて、納税者たる市民としても、民主主義社会の構成員たる市民としても、なんてもったいないのだろうと歯がゆく思うからです。

 ところで、現在、東京の公共図書館の世界では委託が広範囲に採用されている。委託された図書館の業務に従事する職員の低賃金等、様々な問題が指摘されているのはご存知のとおりであり、最近でも2月2日付『朝日新聞』朝刊「どうなる公立図書館」の記事の中で日本図書館協会常務理事大橋直人氏が「民間委託のところは低賃金労働が多く、継続して働くのは難しい。図書館員としての専門性が身につくのか」とコメントしている。一方で、このサイトの「『ディスカバー図書館』報告書が出版されました」で触れた片山知事のいる鳥取県での図書館政策は特筆すべきであろう。上記日信レポートに現れたような真摯な思いを持つ司書が活き活きと図書館の仕事に携われるようにすることが、ひいては、市民の情報ニーズにとっても重要なことだということは論を待たないであろう。そのために、図書館員・図書館・利用者・そして図書館司書養成機関が英知を集めて取り組むことが、今ほど必要なときはないのではないだろうか。

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