図書館委託はなぜ起きるのか
図書館委託はなぜ起きるのか-前・文京区立真砂中央図書館長佐藤直樹氏「図書館カウンター委託から一年-流れぬ川の堰を開けて-」についての反論と感想-
池沢昇(東京の図書館をもっとよくする会)
1.図書館委託はなぜ起きる
「図書館、市場規模は2倍強」のタイトルで日経新聞は、市場としての図書館の記事を掲載した(03.12.06)。首都圏の自治体には970の図書館があり、民間委託の市場規模は5年後には94億円に拡大するとし、さらに、教育委員会が選んだ館長の配置義務や選書など基幹的な業務は行政が担うことになっていることなどが全面委託を難しくしているので、いっそうの市場拡大には法制度の見直しが必要になりそうだ、と述べている。この記事は日本の政治をリードする財界の狙いと図書館を取り巻く状況を端的に示している。
今まで、公が担ってきた事業を民間企業に委ねるために使われるのが「アウトソーシング」「民間でできるものは民間へ」というスローガンである。この流れは国や自治体をも覆っている。委託が効率的だから委託する、住民サービスが向上するから委託するのではない。委託そのものは前提であって、委託によってどれだけ経費を削減し、どのサービスを向上させるかが、自治体に求められる。
図書館委託に自治体の財政状況が大きく影響しているのは事実だが、それだけを図書館委託の原因とするのは誤りである。なぜなら、経費削減のための手法は、専門非常勤化や派遣職員の導入などもあり、図書館サービスの質の維持向上などの点からより良いように見えるにもかかわらず、委託のみが指向されていることからも明らかである。
さらに加えて、23区に委託が突出して起きていることから、23区の特殊な図書館人事政策も深く関わっているように思う。東京23区は、司書の採用をおこなわず、事務職員として採用した人を3~5年間図書館に配置しては、他部署に配置転換することを繰り返してきた。これでは図書館の運営に支障が出てくるので、多くの区では司書有資格者を図書館に長く置いたりするなどの配慮をも併せておこなってきた。しかし、司書採用をおこなったり,図書館員の養成に力を注いだ多摩地域の同規模図書館を比較すると、23区は職員数を多く配置せざるをえず、しかも、サービス水準は低いという非効率的な運営をおこなってきた。優れたレファレンスを提供する図書館員は個々にはいるにしても、また、館によっての違いはあるにせよ、23区を見渡せばレファレンスの力量はきわめて低い。それどころか、本を読んだことがない、人と話をしたくないという図書館員が生まれるということも、23区の制度上、普通に起きてくる。これは、図書館行政の責任者である館長であろうと例外ではない。
私たちは、図書館らしい図書館を作るために、税金のムダ遣いをやめて、司書を採用するように行政当局に働きかけてきたが、実現しなかった。今の図書館を「無料貸本屋」という人がいる。区行政トップが、今まで多くの人件費をかけてきた「無料貸本屋」を、人件費を削った「無料貸本屋」に変えようと言う発想にたつのは、図書館や文化についての識見を持たなければ容易なことである。
前文京区立真砂中央図書館長佐藤直樹氏の(以下氏という)「図書館カウンター委託から一年-流れぬ川の堰を開けて-」(以下、氏論文という)は、文京区立図書館のカウンター業務委託業務を実施した図書館現場の責任者として、それを肯定する立場から書いた論文である。今まで、図書館委託について、具体的な実例に即した委託肯定論を見ることはなかった。委託した区では、事実と異なることを外部で話せば処分する、というような緘口令を職員に出しているところもあるように、実態を外部に知らせることを、極端に嫌う。多くの問題を抱えているからである。具体的な事柄を挙げて述べれば、それだけ反論を受けやすく、知られたくないことも出てくるだろう。その影響が氏のみにとどまらなくなることも考えられる中で書いているだけに貴重に思える。
氏は、図書館委託の背景について、「財界が市場としての図書館を求めている」ということには触れていない。あるいは、全く関心をもっていないように見える。氏はその代わりに、2点をあげている。「アウトソーシング」と「人件費」である。氏論文の冒頭に、「アウトソーシングが『委託問題』になった瞬間から、拳を振り上げ反対する人々が出てくるのはなぜだろうか┅。アウトソーシングとは、外部の資源を有効に活用して事業を進めるという意味なのに┅。」とある。氏は、もともと異なる概念である「アウトソーシング」と「委託」を同一のものとして描き、外部の資源を活用する「アウトソーシング」=「委託」になぜ反対するのか、と主張した。
それに続けて氏は人件費問題について述べる。この箇所は前者よりも、入り組んでいるので、より詳しく述べることとする。「人件費の圧縮は文京区でも待ったなしの状況でした。当時の区職員全体の人件費比率三一%に対し図書館員のそれは七四・六%と極めて高い水準にありました。図書館は『人でもっている』のだから人件費が高いのは当たり前だと言ってしまえばそれまでですが、長引く不況の中で世間の人々が呻吟している現実にしっかりと目をこらすならば、貴重な血税が原資になっている公務員の人数と人件費がこのままでいいのかどうかは自ずと答えは出てくるはずです。」と氏は展開する。この文章は説得力があると思っている人がいるので、驚いている。よく見れば分かるように、論理のすり替えを行っているのである。最初、氏は図書館の人件費率が高いことを問題にしていたが、人件費率を巧妙に人件費にすり替え、図書館の高い人件費がこのままでいいはずはないと、結論付ける。
まず、人件費率が高い事が問題なのかどうかを見てみよう。自治体間の比較において人件費率が一定の指標となりうるが、図書館と役所全体との指標とはなりえないと、考える。人件費率の性格は、その部署に所属する人間の数とその部署の予算との関係である。1人あたりの予算が多ければ人件費率は低くなる。例えば、区役所であろうと市役所であろうと、広報紙を発行する部署と税金関係を扱う部署との人件費率を見れば明らかである。大量の印刷物を外注し、新聞に折り込む経費は膨大であり、人件費率は低い。一方、税金を集める部署では、人件費以外に多くの経費は必要としないので、人件費率は高い。このように特定の部署の人件費率を区役所全体の人件費率と比較することは、意味をなさない。
しかし、全国の自治体は、おおむね共通した事業を行っているので、指標にはなる。この指標は、今日では、どこまで委託が進んでいるかを表す指標である。恐らく氏は、それを取り違えたのであろう。
続いて、人件費が人件費率に変わり、さらに人件費率が人件費にすりかわっていく過程を見る。氏は、図書館の 人件費率の高さを指摘した後に「図書館は『人でもっている』のだから人件費は高いのは当たり前」という、委託反対論を紹介する。ここで、氏は人件費率を人件費にすり替え、しかも人件費に給与水準(賃金)の意味を含ませることによって、委託反対を言う人間が社会一般とかけ離れた常識を持っているかを証明した。しかも、続いて「公務員の人数と人件費がこのままでいいのか」と続ける。ここの人件費は、「人数と人件費」と並べて述べていることから、本来の意味の人件費ではなく、給与水準を表しているように思える。いつのまにか、人件費が人件費率に化け、人件費率が人件費に化け戻り、最後に人件費が給与水準に化けなおす。妖怪変化を思い起こす。
2.図書館委託への道
図書館の委託は区のトップの方針として決定され実施される。多くは、区の行革方針の中で、保育園や児童館の委託・民営化あるいは福祉サービスの見直しと言った、区民サービスからの撤退が決められる中で、図書館もそのひとつとして委託の方向が決められる。
図書館の委託をいつやるのかも区のトップが決める。それは至上命令である。その命令に従い、図書館長は組織内に検討部会を設置して、委託の理論付けをおこなう。「アウトソーシングだから委託します」「官から民への時代だから委託します」では、議会にも区民にも説明ができない。「委託で今までできなかった祝日を開館します」「委託で職員削減して資料費に回し、資料を充実します」これが必要になる。
検討組織は、図書館職員を中心に、区長部局や教育委員会の委託推進の任務を持つ企画調整機能担当者を加え設置される。この組織は形式的には委託の是非を含め検討するが、目的はどこの部分を委託するかを検討することにある。さらに委託本体からは経費削減しか期待できないので、開館時間の延長・祝日開館、資料費の増額を付け加え、委託効果をあげることをもここで検討する。トップは、委託で大きな成果をあげるのが当然と考えているから、図書館行政の現場責任者には失敗は許されない。I区の中央図書館長は、「なぜ、開館時間を延長するのか」という組合の質問に、「委託でサービス内容も少し落ちるし、1000万円の削減だけではアピール性がない」と答えている。
検討会が区長の気に入らない検討結果を出した区がある。館長と直属の上司の教育次長とが呼ばれ、区長から「委託をしたらとんでもないことになるという読み方が出来る提案書になっている。これでは委託をやらないほうがいいんじゃないの」と激しく叱責され、検討を白紙に戻したということである。
ところが、文京区では奇妙なことが起きる。氏は、「二十名の職員削減の代わりに非常勤職員を採用するという道を歩めば、何も苦労することはなかったと思いますが」と述べ、続けて図書館職員非常勤化の区方針を、自らカウンター委託に方針転換させたように記している。現実の世界ではそんな馬鹿なことは起こりえない。区の重要課題である図書館カウンター委託について、課長職である氏の裁量範囲は限られている。決定は上でなされ、重要な指示は上司から出る。氏はその指示に従い動いてきたはずである。にもかかわらず、一切触れず、氏はその行政としての意思決定を、自らが決断して進めたように描いている。その前後を含め、氏論文を通して区のトップの姿も上司の姿も見ることはない。
氏論文から推測できる区の動きは以下のとおりである。当初、「文京区行財政改革推進計画」は「受付事務の非常勤化」の方針を持っていた。新たな区政基本方針として「新公共経営の推進」が策定され、図書館は、非常勤化から民間委託の方向に変わった。トップは図書館長である氏に実施年度を示して実施のための検討を命じた。その命令に従い、氏は図書館内に検討組織「望ましい図書館運営のあり方検討会」を設置したのである。
ここに氏が紹介する真砂中央図書館の玄関に委託開始とともに張り出したというポスター「変わります!図書館」を見てみよう。「①カウンター業務を「アシスト株式会社」に委託して運営しています。②朝9時から開館しています。③月曜日も開館しています。(第4月曜日を除く)④特別整理期間(休館日)を短縮します⑤人件費を削減し、資料費を充実しました。⑥3Fに「レファレンス・カウンター」を設置しました。」(下線は筆者による)のうち、下線部分が委託に直接かかわる事項、その他は委託とは直接関連しない事項である。ここに見られるように、委託はサービスの向上とは関係ない。氏は、氏のポリシーによってサービスを向上させたかのように述べているが、委託を実施したすべての館長もまた、氏と同じポリシーをもっている。なぜなら、すべての委託した区が、委託だけではアピール性がないので、委託に併せて同様のサービス向上施策を実施している。氏は先人の後を歩いているに過ぎない。
3.委託会社とアルバイト社員
文京区はアシスト株式会社に委託している。アシスト社は人材派遣会社で最近数区から図書館カウンター業務を受託している。この図書館カウンター業務の委託を最初に切り開いたのはT社である。T社は図書館の専門業者を標榜し、多くの自治体に図書館を委託するように果敢に働きかけ、ほぼ独占的に受注を受けていた。図書館を未開拓の市場として目をつけた最初の民間企業といってよいだろう。T社の社員が図書館の個人情報を不正に入手し利用した事件が新聞報道され、その後、シェアを減らしたが、今でも多くの図書館のカウンター業務を受注している。T社は文京区に本社がある企業でもある。また、やり方は他社と共通するので、T社がどのようにおこなっているか簡単に述べる。
T社が図書館に配置する社員は、チーフという名の責任者を除き、ほとんどがパート社員である。時給は800円台で、夜間勤務の場合で1000円程度、社会保険料を会社が払わなければならなくなる時間を越えては勤務させないようにする。平均月収は9万円程度でとうてい自活できない。たとえ図書館への熱意があっても、将来を考えれば続けるわけにはいかない。よりよい就職先があれば変わっていく。生活できない給料しか出さなくて、優秀な社員を確保することができるわけがない。
ところが一方,区からの委託料のほとんどが図書館配置社員の人件費であるはずなのに、社員に払われるのは受託料の半分程度と推測される。たとえば、5館の委託を受ければ、1館2000万円として、1億円の受託料が入ってくる。そのうち5000万円が濡れ手に粟でT社に入る。また、区側が図書館カウンターに一定の専門性・経験を持つ委託先を、というところに持ち込めれば、T社は断然有利になる。
このT社は果敢な売込みで知られている。それは次の話からも伺われる。「90年代に図書館人や出版人のパーティに出席したとき、隣にいた‘T’という会社の人が酔っ払ってこんなことを話した。接待にはいろいろな‘風俗’を使う。女の人はご存じないでしょうと具体的に話してくれた。ここでは話せないが、後に大蔵省の‘ノーパンシャブシャブ’が話題になったとき、あの姉妹版かと納得した。」(東京の図書館をもっとよくする会ニュースNO.18)
ひとつの区で5館を受託すれば、5000万円のほとんどが純益になる。初年度に1000万円の工作資金を投入しても、数年間の視野で考えれば、莫大な儲けに変わりはない。民間会社にとっては、利潤追求が目的であり、その目的を達成するために手段を尽くすことは当然のことである。新聞の社会面をにぎわす官民癒着に、区役所や図書館だけは別であるとはならない。
昨年11月13日の朝日新聞が、不動産業者から300万円相当の物品を受け取ったとして処分されたN区元部長の処分が「訓告」であったことを報じた。懲戒処分は、重いものから免職、停職、減給、戒告の4つで、元部長の受けた「訓告」は懲戒処分ではない。ごく軽微な処分であり記録にも残らないし、具体的不利益もないので、処分でない処分といわれる。このような腐敗した状態になっているから、公務員としての倫理観を持つ役人はそうでもないだろうが、「官民の共同」や「アウトソーシング」の世界にいる役人がそれらを受け入れる下地は十分にできているのである。
4.T社社員の「個人情報の不正使用」をめぐって
02年12月、江東区でT社の社員が起こした事件は全国紙にも報道された。最初にこの事件を報道したのは、「都政新報」という都区政を扱う業界紙で、大きく報じた。それらによれば、図書館に配置されたT社の社員が自分の予約するCDを早く借りようとして、不正に個人情報を引き出し、予約待ち順位1位の男性の妻を偽称して、図書館に電話した。ところが、偶然電話に出た図書館職員がその男性自身であったことに端を発して、図書館はこの事実を知ることになった。しかし、これが多くの人の知ることになったのは、「都政新報」記者が委託の記事を取るために館長にインタビューしたところ、館長がこのことを喋ってスクープされたことによる。事件があって1ヵ月後である。委託でまずいことが起きても隠し続けるので、このように事件が図書館の外に出ることは稀である。この館長は、地方公務員法で守秘義務が課されている職員が問題を起こさない保証はないのだから、この程度の事件は問題ではないと考えたのだろう。だから、事件のあったことも、インタビューのことも上司に報告しなかったようだ。よって、区の幹部は「都政新報」で自分の区で何が起きているのか知ることとなった。
この事件で江東区は、契約解除などのペナルティーを課すのが当然のように思えるのだが、T社が再発防止策を区に提出することで処理することとした。そして、これも信じがたいことだが、次年度も、このT社は8館を受託していたところを、2館を減らされただけで、6館を受託した。ここにも、T社の江東区に対する影響力の大きさを見ることができる。
さて、文京区に戻ろう。氏は、この事件のことにも触れ、次のように述べる。「先行区で個人情報の私的利用に絡む問題が起きたことを耳にしましたが、よくよく聞いてみると、必ずしも委託スタッフだけが責められるべき事案ではなかったようです。」氏は、委託業者を弁護して、T社が起こしたこの事件を「個人情報の私的利用に絡む問題」としてT社に責任がないかのように筆を曲げ、次に当事者である委託会社社員についても「委託スタッフだけが責められるべき事実はなかった」と意味不明の言葉を述べた。このことについて書くのなら、新聞の内容を紹介し、実際に起きたことと照らしてどこが違っているのか、「(問題を起こした)委託スタッフだけが責められ事実はなかった」というのなら、どこに責任があるのか、書くべきである。しかし、氏の記述はあいまいで、実際に何が起きたのかについて述べていない。しかも、氏はこの事件の新聞記事を「耳にした」ものの、目にはしない。「都政新報」はもとより、一般紙でも取り上げられたのに読んでないのである。しかも、この事件が各紙で報道された時、文京区の検討会で委託検討をおこなっていた時期である。氏が述べるには、氏はポリシーを持って座長をつとめていたはずなのだが。氏は,委託会社を弁護することに気を取られ,自身の述べていることが何を意味しているのか、信じがたいことだが、思い至らないようである。
なお、私が誤って引用したと思われると困るので、「事案」について説明する。氏は、「委託スタッフだけが責められるべき事案(・・)ではなかった」と、「事件」あるいは「でき事」に代えてと思われるが、「事案」を使用した。「事案」は「問題になっている事柄そのもの」(広辞苑)を表す言葉で、役所では、「その事柄」についてどの役職にあるものが決定する権限を持つのかを示した「事案決定手続き」などに「事案」は使われる。氏は、誤ってそれを使ったのである。
この事件に絡んで、T社と文京区との間に極めて不可解な出来事が起きた。02年12月、T社が「業務の指名辞退のお届け」を文京区長宛に出したことである。その内容は、「新聞発表にあるように、江東区で、社員が行った業務上知り得た個人情報を業務目的外に使用したことについて反省して、業務の指名を辞退する」というものである。この「指名辞退届け」が出たのは、文京区が図書館委託を検討しているさなかである。では、なぜ江東区に出さないで文京区に出したのか。なぜ、文京区だけに出して、他の区に出さなかったのか。文京区の図書館を受託することが内定していたということなのか、この不可解な指名辞退届けの真相は霧の中にある。
5.争点は何か-「委託ダメ論の検証」を検証する
「四 委託ダメ論へのアプローチ」で、氏は、「委託に反対した論拠はどうなったでしょうか」として、氏がまとめた委託に反対する論6点の「検証」を行っている。謂わば「委託ダメ論」ダメ論である。文京区の委託をめぐる論争であるので、委託反対論6点のまとめ方が正確であるかも含めて、具体的には、文京の図書館の人たちに委ねる。私が行うのは、氏の「委託ダメ論の検証」を検証し、氏の「検証」がどのようなものであるかを示すことである。
1)「①利用者の声やニーズを直に受け止め、サービスがサービスに反映させることが難しくなりサービスが低下する」(氏論文第2章から引用)との反対論に対し、「①については、問題は、ニーズを直接把握できるかどうかではなく、どうニーズを実現するかが重要なのです」と述べる。これは、意図的に論理をすり替えて、あたかも、委託反対論が、ニーズの実現よりも、ニーズを把握することを重要に考えているかのように見せかけて、読む者が委託反対側に理がないように思わせるようにしたのである。氏は、この6点の「検証」の場で、ここともう1点については、委託反対論の紹介を行わなかった。両論を並べると、いずれも、氏の「検証」に不利になるからである。
氏は、「どうニーズを実現するかが重要なのです」と述べたが、このことをそれ以上には展開しない。そして、委託会社社員(スタッフ)を通じてニーズは把握できること、そして、コンピュータ上の貸出状況等でニーズを把握することの重要性について述べる。これが氏の「検証」である。
前者については、委託会社社員から引継ぎや月1回の委託業務検討会議の場で聞くより、直接に利用者から聞いたほうが、的確迅速にニーズを把握し対応することができる。それは余りに自明なことに見える。そのことを氏は理解できないのであろうか。
後者のコンピュータのデータなど様々な資料や情報を使って区民のニーズを把握しようとする事は、直接に利用者からニーズを把握することが必要であるとの主張に矛盾するものではない。むしろ、直接に利用者の声を聞き、併せて様々な資料にも目を通しておくことが必要だと思うのだが、氏はこのことを否定するのであろうか。
氏はここで、委託反対論が「利用者の声を直接聞くことが、利用者の声を実現するより重要だ」と主張しているという虚構をつくり、その虚構の誤りを論証する「検証」を行ったのである。
2)「委託スタッフは、個人情報を守る意識が薄いため、カウンターの端末から、興味本位に個人のプライバシーを除き見て問題になる恐れがあると言う主張ですが、1年を経た今、何も起きていません」と、氏は述べる。ここで氏の紹介する委託反対側の「主張」が、どこまで文京区の委託に反対する人たちの主張を反映しているのか、このような低次元の委託反対論は聞いたことがないので、文京の人の反論を待つこととしたい。
氏は、ここでは2点の主張を行っている。ここが私の検証するところである。
1点は、委託会社はプライバシーの社内研修を徹底して行っているということについてである。「受託会社に採用されるとすぐ、社内で図書館業務全般の研修はもとより、個人情報保護業務についてみっちりレクチャーを受けます」と述べている。委託会社は、図書館に配置するパート社員(スタッフ)の研修の実態を明らかにしないので、実態を掴むことはできないでいる。しかし、当初に配置するパート社員(スタッフ)には、ある程度の研修を実施できても、途中で急に止めた人の代わりに配置することになった1人に対しても、みっちりレクチャーするとは、経費の面からも常識的に考えられない。しかも、委託会社は、参加者に交通費プラスアルファしか出さないから、参加しない人もいる。氏は当然委託先からの情報でこのように述べているだろうと思うが、研修内容・時間・受講率など、具体的な内容についてはほとんど何も触れていない。
2点目は、氏の言う「先行区で個人情報の私的利用に絡む問題」である。これは、先の第4章で詳しく述べたところであり、それを以って足りるので、重ねては述べない。
3)「③カウンターに職員がいなくなり館内秩序が守られない」(氏論文第2章から引用)との委託反対論に、「そもそもこれは、先行区の図書館で子どもがいたずらされるという事件があり、それは委託スタッフが対応できなかったことが原因だというプロパガンダに基づくものです。しかし、情報収集の結果、そんな事実はなかったことが分かりました」と述べる。このことの真偽については、文京の人たちに委ねる。
この箇所は、氏が委託反対論の紹介を行わなかったもうひとつの箇所である。前述の1)と同じに、反論になっていないので、並べると氏にとって不利になるからである。
私がここでは、氏の「検証」の杜撰さを検証する。
氏は、次の2通りの解釈ができるように作った。①いたずら事件は事実だが、委託スタッフの対応が原因で事件が起きた事実はない。②いたずら事件そのものがなかった。読まれている方は、どちらが正しい解釈と思われるだろうか。ところが、出題が狂っているので正答はここにない。「図書館で子どもがいたずらされるという事件があり、それに委託スタッフが対応できなかった」ということを、氏は、「図書館で子どもがいたずらされるという事件があり、それは委託スタッフが対応できなかったことが原因(・・)である」と、すり替えたのである。事実を歪めて虚像をつくり、氏が作った虚構の不存在を「情報収集の結果」確認したとして、「(委託反対守旧勢力による)プロパガンダにもとづくもの」と非難しているのである。事実の多くはそのままにして、その記述の中にわずかな嘘を入れることで、効果的なプロパガンダを作成する。わずか2文字「原因」を挿入しただけで、虚構の世界を作り上げる。氏の文章の中に、いったい真実はどのくらいあるのだろうか。
ところで、このいたずら事件のあった区では、今年の4月から独立館の5時以降について、委託で巡視を置くようになったとのことである。氏は、いたずら事件がなかったと述べたあと、「言うまでもなく、館内の秩序維持は職員の仕事で、委託できるものではありません。」と続ける。しかし、言うまでもなく、この区は、氏の断定した結論とは反対の結論を下したのである。
4)「不安定な雇用では人の入れ替えが激しく,サービスが低下する」と委託反対論を紹介する。氏は、委託会社のスタッフ募集に8倍の応募があり、図書館で働きたい人が多いと述べ、さらに、雇用形態は「シフト勤務に合わせたパートタイマーですが、それは、自分のライフスタイルと司書としてのスキルの発揮を両立できる形態として、働くご本人が選んでいることなのです」「定着率はむしろ高いのです」と反論する。これは、重要な視点なので、それぞれについて述べておきたい。
氏は「定着率は高い」と断言している。しかも、不安定からでなく、家庭事情等の変化でやめるのがほとんどで、「名残を惜しんで辞めていきます」と述べていることの真偽である。今年の4月に新たに委託を行った区では、委託会社がスタッフ募集の折込チラシを6月になっても出しつづけている。氏の述べることが事実であれば、文京区は他とはかなり違うことになる。真偽については文京からの反論に委ねる。
より重要なのは、パート社員の劣悪な労働環境を「働くご本人が選んでいる」として肯定していることである。本人が選んだのだから、劣悪であろうとかまわないというのだろうか。働きに応じてそれに相応しい賃金や待遇をするのは当然のことではないだろうか。委託であっても、パート社員に社会保険に加入できるようにさせることは可能であろう。氏は、別の箇所で、競争入札方式で受託会社を決めたので、競争原理が働き、適正な委託費に収まったと述べている。「適正」という以上、区としての積算根拠があるはずだ。それに照らして、委託会社が委託会社社員に払われるべき賃金を掠め取っている、今の委託が適正なのか。競争原理のしわ寄せは弱者にしわ寄せされる。契約金額の引き下げはパート社員を中心とした委託会社社員の安い時間給をさらに引き下げる。
しかし、氏はそのことに関心を持たない。これら若い女性を中心としたパート社員がどの程度の給料をもらっているのか、およそ知る必要のないことなのだろう。氏が、パート社員に積極的に働きかけを行っている箇所が、氏論文に1箇所ある。委託開始後、氏は「同じ屋根の下で汗水垂らして働くもの同士、できるだけいい雰囲気を作るように心がけました」と述べ、「『今日は顔色悪いけど疲れてるの?』といった声かけでいいのです」と続ける。氏はこれを「何気ない心配り」で、委託がうまくいくかどうかのカギだと推奨するが、思うに真似をするのは止めたほうが良い。恐らく、氏は、委託問題でギクシャクしている職員との間にもできるだけいい雰囲気を作るために、老若男女を問わず「今日は顔色悪いけど疲れてるの?」などの言葉をかけているのだろうと思う。しかし、委託先社員のみに行っているのだとしたら、セクハラと言われかねない。
5)「委託費は非常勤の賃金より高い。だから、非常勤化をすべき」との反対論に対する氏の「検証」は、6点にわたる「検証」の中で、もっとも、混乱し、つじつまの合わない主張がなされているところである。まず、氏は、「実はこの主張は当局の考え方にやすやすと取り込まれてしまう自己(・・)矛盾(・・)を内包しています。」
(傍点は筆者)と、意味不明の一文を記す。「委託より非常勤化すべき」と主張し、それが実現するのが、どうして自己矛盾なのか、意味が通らない。恐らく、「危険性」あるいは「問題」という言葉の代わりに、自己矛盾という言葉を誤って使ったのであろう。文脈から推測すれば、「委託よりも非常勤化のほうが経費削減になるので、当局に取り込まれる自己矛盾(危険性)がある」ということであろう。当局が、委託でなく、非常勤化を当局が選ぶことを「危険性」があるといっているようだ。ここでの氏の「自己矛盾」の用法は、自己矛盾という言葉を説明する場合の用例としての価値がある。
続いて、「もっと重大な矛盾は、安い賃金の非常勤職員に職員と同等のあるいはそれ以上の仕事をしてもらっている現実です。(中略)割に合わない-という不満がどこかに鬱積していました」と述べる。それならば、委託会社社員と職員との賃金格差がある。「本当に本が好きで、お客様に奉仕するのが好き」で、「モチベーションの点でもこちらが学ぶべきところが少なくない」パート社員が、不満を鬱積させない理由はない。
さらに続いて、非常勤化を求めることの無責任さを非難する。「非常勤化を標榜する側は、待遇改善も掲げる」が、法制度上の問題をはじめ、人事・雇用政策上の問題以下を列記して、待遇改善は難しい事柄だ、
と結論づけ、「非常勤化を主張する人々が最後まで自分たちのために、本当に責任を持ってくれるんでしょうか-非常勤職員のそんなつぶやきが今も耳に残っています」と、非常勤職員のつぶやきを紹介する。「つぶやき」は、氏の内にある思いを代弁したものと見るべきだろう。違うのなら、ここに紹介することはないのだから。氏は、非常勤化は、待遇改善の見込みがないから、それを主張するのは無責任だという。では、委託会社のパート社員でいることに将来展望があるのだろうか。若い図書館に熱意を持つ人たちは、パートから非常勤に、非常勤から正規の図書館員へと、チャンスがあれば転職していく。
氏の述べている責任問題についても、勘違いしているので一言述べておく。委託問題が起きる前から、区当局は非常勤化を進めていた。氏の論理を当てはめれば、当然にこれを無責任だというべきであろう。しかし、区に対して決して言えないだろう。このときに採用された非常勤の待遇改善の責任はどこにあるのか。雇用者である区当局以外にはないだろう。ところが、氏は、非常勤化の主張に対しては無責任だと非難し、非常勤化を実施している相手には何も言えないでいる。
氏は、委託会社のパート社員については「働くご本人が選んでいることなのです」と述べている。しかも、この非常勤の方は区の非常勤化の政策で採用されたのだから、非常勤化を主張する人たちの責任に帰すことできないのは、氏とて考えれば明らかなはずである。氏の論理からすれば当然に「あなた自身が選んでいることです」と言うべきだったのである。
このような自己矛盾に陥った原因は、自説を有利に導くために、非常勤化と委託を違う物差しで計ったことにある。それも少し使えば、気づかれないかもしれないものを、余りに多用するので、馬脚を現すのである。
6)「労働者派遣等との関連です」として、合法的な請負契約を行っており、偽装派遣ではない論拠を挙げる。違法性が明らかに見えるような契約を行うはずもないから、現場実態を具体的に見る必要がある。この真偽は、文京の人が検証すべきものであるので触れない。
私が興味を持つのは、指揮監督権についての次のような論述である。氏は、「命令」ではなく、「示唆」や「助言」という「事実行為」までを法は禁止していないと主張する。例示として、「(パート社員が)お客様が待っているところでマゴマゴしていたらご迷惑をかけることになる」ので、「こうした方がいいよ」と声をかければいい、と言う。「こうした方がいいよ」は助言で、「こうしないと大変なことになるよ」は示唆
で、「こうしなさい」は命令ということになる。前2者は合法だが、後者は違法だと言う。こんな珍解釈は始めて聞く。まるで「一休とんち話」ではないか。
続けて、氏は「もしこれがダメなら図書館は機能しないでしょう」と述べる。しかし、現場の図書館員は「これがダメなら機能しない」と言って済ませることはできないので、図書館を機能させるために、違法であることを知りながら違法行為を行わざるを得ない状態に追い詰められる。付けは図書館を切り盛りする職員に回る。
6.文は人なり-「自己讃美」と「委託ダメ論攻撃」と「すり替え」と
氏の文章表現で、誰でもがすぐに気づくことは2点ある。ひとつは、氏自身の誠実な態度を述べるくだりや他人への心配りに心砕く氏自身の姿を描いた箇所の余りの多さである。「練りこめられたDNA」によって、氏がぬかるんだ道を歩くことになった冒頭から、終章の「名も知らぬ遠き島」に漂着することを防いだK係長への謝辞に至るまで、尽きることなのない自己讃美の波がひたひたと寄せてくる。
もうひとつは、氏に反対する主張に触れる箇所に、ことごとくマイナスイメージを与える修辞を丹念にほどこしたことである。冒頭第1行の「アウトソーシングが「委託問題」になった瞬間から拳を振り上げ反対する人々が出てくる…」から、終章の「関係者や関係団体は周章狼狽しているようですが」に至るまで、すべての機会を捕らえて練りこめている。これもまた氏に「練りこめられたDNA」のなす技であろう。
そして、氏の主張の論証の仕方はどうであろうか。氏の論理の特徴は、粗雑とすりかえが普遍的かつ自然に存在することにある。すでに、これまで多く述べてきたところだが、更にひとつの事例を紹介する。
第2章「半年間の議論」に、氏は、お客様にアンケートをとり、「開館日・開館時間の拡大」などの要望が多かったことを紹介し、「これらのニーズはやがて実現することになります。」と述べている。そして、氏が図書館長として着任する前から置いてあった「ご意見箱」の利用者の声にもお客様アンケートと同じニーズは長年あったはずだが、図書館員は「悪いのは私じゃなくてほかの誰か」という説明で切り抜けてきたのではないか、と述べる。ここは、先述の氏の文章表現の2つの特徴が見事に表現されている。加えて、うまくすり替えをおこなった箇所でもある。氏は、区民のニーズにこたえサービスの改善をおこなったことを自身の功績に帰している。そして、氏が着任する前、長年区民のニーズを放置し、サービス改善を怠ってきたことを職員の責に帰している。区民の声にこたえて改善をおこなった功が氏に帰するなら、長年区民の声を放置したことの責は氏の前任者たちにあるのは、自明のことである。ところが、責を負うべき彼ら前任者たちはまったく姿を見せない。氏は、氏の論理の帰結として追及することになる前任の図書館長たちの能力の欠如を、すり替えをおこなって職員に転嫁したのである。
そして、この職員への転嫁によって、委託に反対した守旧勢力に仕返しを行い、前任図書館長たちとの関係をうまく処理し、氏論文に氏と同格の人々=前館長たちを登場させることを防ぎ、氏を中心とした世界の秩序を維持したのである。「うまくすり替えをおこなった」との筆者の評はこれに拠る。
このように、無理に無理を重ねたのは、以下の事情にあると考える。
冒頭の章で氏は次のように述べている。「平坦な道を行っても、ぬかるんだ道を歩いても60が定年の公務員人生。藤沢周平さんと郷里を同じくし、「蝉しぐれ」の舞台となった東北の小藩「海坂(うなさか)藩」に生まれ、善し悪しは別として庄内人気質がDNAに練りこまれているらしい私は、後者の道に足を踏み入れたのでした。」(ルビは筆者書)。氏に代わって紹介すれば、「蝉しぐれ」は、庄内藩をイメージして創造された「海坂藩」を舞台に、下級武士牧文四郎の誠実と清貧に生きた半生をすがすがしくノスタルジックに描いた、藤沢周平氏を代表する小説とされている。
氏は、その主人公に自身を仮託したのである。愚直なまでの誠実さをもって生きてきた人間=つまり氏自身が、図書館の責任者となって、藩政改革の大方針の下、直面した図書館カウンターの委託問題を、これまでの人生と同じ誠実さを持って、妨害する守旧勢力を打ち破り、艱難辛苦の末使命を果たすことができた、それを振り返り見て描く、ここに氏の主要テーマがある。そのこと自体は奇妙なことなのだが、そのように全体を読み返せば、この不思議な文章の説明はうまくつく。氏の誠実な人柄と輝かしい業績を記すためには、創作以外に道はない。藤沢周平氏が庄内藩から海坂藩を作った例に習い、文京区の図書館に文京海坂藩を作り、文京海坂藩に起きたことを書いたのである。文京区では起きないことがこの世界では起きる。上官や参謀本部の命令に従って動く前線指揮官は難局を独力で切り開いたイメージにそぐわないので、区長以下も文京海坂藩から追い出されてしまったのである。謂わば「私家版文京蝉しぐれ」である。天地がひっくり返るような大転換とはこのようなことを言うのだろう。
7.最後に
氏論文に即しながら、反論と感想を述べた。氏は多くのことについて述べているので、触れられなかった点もある。機会があれば、それらについても展開したいと思うが、これで終える。
図書館のカウンター業務委託は、大きな二つの問題を抱えている。ひとつは、チーフも含む委託会社社員の劣悪な労働環境である。司書としての専門的教育を受け、熱意を持っている人は、将来を考え、より良いポストがあれば変わっていく。図書館サービスの維持という観点からも、パート社員の待遇改善は必要である。このことは繰り返し触れてきたので、これでとどめる。
ひとつは、図書館職員の問題である。職員は利用者と直接接する機会を失う。23区では、4~5年で職場を変わるから、毎年図書館のことを知らない職員が配属され、知っている職員がいなくなる。新しい職員には、図書館職員としての第1歩となる、資料提供や簡単なレファレンスについての技術・経験の蓄積はできない。専門的なレファレンスや企画調整は、基礎的な技術・経験の蓄積の上に成り立つから、それも当然にできなくなる。委託会社のやっていることも分からなくなる。委託した事業はブラックボックス化する。図書館現場に荒廃が始まる。同じ給料をもらえるのだから、仕事がなければなくても結構だ、ということだ。それは、人事管理の多くをなくした館長にも同じように現れる。すでに、これに直面している図書館の話も聞く。荒廃は、それを日常的に見ている委託会社のパート社員たちにも同じ状態をもたらす。
図書館職場を必死に支えている図書館員がいる間に、図書館を切り回す能力をもつ職員集団を早急に形成しなければ、委託による荒廃、サービスの低下が始まるだろう。
注
(1)本稿は、『みんなの図書館』2004年9月号に掲載するということで、当会事務局長の池沢が2004年7月に図書館問題研究会に送付した原稿だとのことである。関連して下記のファイルもご参照いただければ幸いである。
●公開質問状を図書館問題研究会に出しました
●図書館問題研究会常任委員会及び『みんなの図書館』編集部への質問
(2)元になった佐藤直樹氏の論文の書誌事項は下記のとおり。
佐藤直樹「図書館カウンター委託から一年:流れぬ川の堰を開けて」『みんなの図書館』(325), 2004, pp.30-44
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