お気づきかもしれないが、図書館司書、中でも利用者との対応の最前線に立つ者の仕事には、対人サービスの要素が色濃く現れる。様々な人生経験の中から様々な情報ニーズをもって訪れる利用者に向き合い、想いをお伺いし、そしてその方の必要な情報へのアクセスをお手伝いする。その中で、それぞれの司書は力を尽くそうとしているわけである。
利用者としっかりと関わろうとした司書の顔は、利用者のほうでも良く覚えていてくださる場合が多いらしい。私などは例え非番の時であっても利用者の方から声をかけてくださることがよくある。光栄なことである。例えば成田空港の出発ロビーで、「司書さんですね、どちらまでですか?」「はい、シドニーまでです」等のやり取りが生まれるわけである。
今回は、そのようなやり取りの中から、特に私の心に残っておりなおかつ利用者から「他の人に紹介してよろしい」とお許しいただけたケースを記そうと思う。しばらくお付き合いいただきたい。
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それは、とある土曜日のJRの車内での出来事であった。毎週のスケジュールにしている本屋巡りに向かおうと、中央線に乗り込んだところ、温厚な年配の紳士が声をかけて下さった。実は、私がかなり長期間対応していたレファレンスの依頼者であった。仮にA先生とさせていただく。A先生は、20世紀にスイス等欧州で活躍した音楽教育家でありリトミックの創始者であるE.ジャック=ダルクローズ(1865-1950)の研究をされている方である。
話は2005年に遡る。A先生がそのレファレンスの依頼のために来館した。ジャックダルクローズは"Le rythme, la musique et l'education"(「リズム・音楽・教育」の意味。Fischbacher & Rouartより刊行)という本をフランス語で著しているのだが、Julius Schwabeの翻訳によるドイツ語訳"Rhythmus, Musik und Erziehung"(Benno Schwabe刊行)には存在する「リズムの根源は労働」という件が原書の今手元にある版には存在しないので、そのドイツ語訳版の元になったフランス語原典版を探し出したいということであった。ちなみに、この"Le rythme, la musique et l'education"は開成出版および全音楽譜出版社から日本語訳が出版されている。
A先生のおっしゃる「リズムの根源は労働」という言葉を聴いて私が連想したのは、一つはニシン漁を背景に生まれた北海道民謡の『ソーラン節』であり、もう一つはかつてのロシアの農奴たちが船を曳く情景の歌だという『ボルガの舟歌』であった。音楽と人生の深い関わりを語る言葉なのだと、A先生が提示した言葉を捕らえたわけである。そして、その言葉が翻訳版にあって原語版にはないということの問題意識も「わかった」上でレファレンスの作業に赴いたわけである。
これは少し脱線になるが、私がこのように感じることができたのも、ある程度人間をやってきて、図書館に身を置いてからの経験が蓄積していたからなのだと感じている。幼き日々の学校教育から、司書になってからの様々な知識・経験、その他様々なことの積み重ねが日々の利用者との関わり方に出てくるのだと私は確信している。
本筋に話を戻していこう。司書が本を探し出すときに武器にするのは当然の事ながら目録である。まず目にしたのは、日本国内の大学図書館が大方参加する総合目録であるNACSIS-WEBCATである。しかし、これで見つけられるのはA先生がお持ちの版でしかない。次は北米をベースに世界中の図書館が参加し、日本でも若干の大学図書館が参加するOCLCの"WorldCAT"や、ドイツのカールスルーエ大学図書館が提供している欧州・北米・豪州図書館検索への橋渡しシステムである"KVK"であった。それらしき版の資料が見つかったら、コピー取り寄せ依頼を行ったのは言うまでもない。しかし、それらからも、A先生の望む資料は見つけられなかった。
求める資料への道筋が困難なとき、司書は時として図書館の公式制度上のつながりだけではなく個人的なつながりをも武器にして闘う。武器として管理人が採用したのは、国内外にある図書館関係のメーリングリスト。管理人が所属する研究団体のメーリングリストや、その他有志が集まるもの。海外では、国際図書館連盟(IFLA)が運営するIFLA-Lというリストにメッセージを投稿した。おかげで、国内外の各地からありがたい助言を頂いた。もちろん、寄せられたメッセージを基にして次の行動に移っていたのだが、それでもA先生の望む資料は見つけられなかった。
ジュネーヴ・ジャック=ダルクローズ学院(Institute Jacques-Dalcroze Geneve)とのやり取りもあった。若干の行き違いもあったが同学院の司書とやり取りを続けたことにより、ジャック=ダルクローズに関する手稿など生資料がジュネーブ大学図書館にあることまで分かってきた。しかし、その中にもそれでもA先生の望む資料は見つけられなかった。だんだんと月日ばかりが無駄に過ぎていった。
当人及び当該資料の調査が暗礁に乗り上げたため、A先生との協議により、関係者に調査の網を広げた。最前の国際図書館連盟経由で知ることとなったスイス国立図書館によるサービス"SwissInfoDesk"--スイスのこと全般に対応するレファレンスサービス--に対してジャック=ダルクローズ関係者についての調査を依頼したのだが、これもまた効果なしに終わってしまった。
もはや、司書の立場で打てる手は尽きたと考える他はなくなり、A先生にご自身での研究者との連絡をお願いしたうえで管理人は作業の続行を断念した。着手から1年。その場に残ったのは後味の悪さだったかもしれない。
JR車内でA先生にお目にかかったのは、管理人が断念した半年後のことであった。A先生によると研究者との連絡は失敗に終わったとのことで、今までに得た情報だけで結論を出し、学会に今回の件について発表したいとのお話を頂いた。車中では、目録の上に目的の資料を表すことや、目録から必要な情報を読み取ることがいかに難しいかという話になり、また私に対するお礼とねぎらいの言葉も頂いた。そのことを伺って、自分自身、肩の荷がようやく降ろせたという感があったように覚えている。
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図書館に身を置く私自身の活動の一端をお目にかけた。先ほど書いたように、幼き日々の学校教育から、司書になってからの様々な知識や経験、それらもろもろのことの積み重ねが日々の利用者との関わりにとってとても重要になるのだという想いを新たにしている。これはきっと他の司書の方にとっても同様であろう。
図書館とは、ただ単に機械的な操作により図書を貸し借りするだけの場ではない。様々な人生経験の中から様々な情報ニーズをもって訪れる利用者と、様々な人生経験に裏打ちされたプロフェッショナルとしての司書たち、そして様々な立場の制作者が生み出した資料の出会いの場である。より良い3者の出会いを積み重ねていくために、今後とも私たち図書館に関わる者はしっかりと歩みを進めていくことが求められているのだと、私は再確認した。
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